秋の夕闇スーサイド

拒食症、パニック障害などを経て自殺未遂。そして閉鎖病棟へ入院するまでの手記。

さらに降下

19歳〜20歳の辺りから、頻繁に喘息のような発作が起きるようになった。

友人に強く勧められて呼吸器科を受診するとやたらと明るい医者から「いやぁ〜、これは随分酷い喘息だね!!」との診断。

 

因みに父の家系は全員ヘビースモーカーだ。親族の集まりがあると部屋の中は煙で充満して真っ白になる。

 

喘息の診断が下りてから、今まで以上に煙草の煙が気になった。

父が換気扇の下で煙草を吸っている時の臭いですら発作を起こすようになっていた。

ある日、私がいつものように小発作を起こしていると、父から「発作なんて気のせいなんじゃないの」と言葉が飛んできた。

私は耳を疑った。

 

気のせい?

突然喉がヒュッと鳴って、気道が狭窄して息苦しくなって、咳が止まらなくなって、呼吸をしようと喘ぐ度にヒューヒュー鳴る。

これらは全部気のせい。

そーかそーかなるほどねー。ってそんなワケあるかい。

 

病は気から。

良い事だと思います。

それでも私はこの言葉を生んだ人を全力でブン殴りたい位、嫌いなのである。

 

 

急降下

高校時代にファストフード店でアルバイトを始めた。

卒業後は特に進学も就職もせず、そのままアルバイトを続けた。

 

きっかけなどは殆ど覚えていないのだが、アルバイトを3つ掛け持ちするようになった。

ファストフード、居酒屋、水商売。

そしてこれまた記憶がないのだが、気付けば拒食症になっていた。倒れて点滴を受けるようになる頃には、体重は39kgになっていた。

 

そしていつしか不眠症過呼吸を引き起こすようになり、病院の受診を考え出した。

当時は親の健康保険に加入していたため保険証が家族で一枚だった。

母へ心療内科の受診を相談したのだが、「気のせいなんじゃないの」と一蹴されあまりいい反応はなかった。まぁ、そりゃそうだ。

騙し騙し生活を送っていたが次第に耐えきれなくなったため、頼み込んで受診をした。

この時にパニック障害と診断された、かもしれない。

 

本当に『気のせい』だったらよかったのに。

過去

中学一年生から、いじめのようなものを受けていた。

程度としてはとても軽いものだったのかもしれない。遊びの範疇でしょ、と言われてしまうような。

 

ゴリラ、ブタゴリラというあだ名で呼ばれる。物を隠される。それを探していると、探している様を誇張してモノマネされ、周りでケタケタ笑っている。

モノマネされているのに気付いた私は一切動かなくなる。すると。

女「ねーゴリ動かないんだけど」

男「おい!おいゴリ!おめぇだよ!なんか動けよ!!」なんてのは日常茶飯事。

登校したらクラス全員から「出ーてーけ!出ーてーけ!」の大合唱。

こんなことも何度かあった。

 

親や教師に相談した事は一度もなかった。

いや、担任には一度話したのかもしれないが、現場を見ないことには何も出来ないといった答えを返された覚えがある。

 

いじめのようなものは二年間続いた。

時折通学するのが嫌になり、仮病を使って何度も休むことがあった。

後に母にこの件を話したとき「反抗期なのかと思った」と返されたのである。

 

この辺りから私の見た目に対する異常なコンプレックスや、引っ込み思案な性格が根付いたように思う。

あとは、『波風立てない』

この言葉、今まで何百回使ってきただろう。

はじめに

これは管理人が鬱病発症〜自殺未遂、そして閉鎖病棟へ入院するまでの記録です。

 

私はこの日記によって自殺を推進するつもりは全くありません。

 

ただ、今現在自殺を考えている、周りにそういう方がいる、そんな方々の参考に少しでもなればと思います。

 

それでは、話は過去に遡ったところから始まります。